あれは誰だ?
店で服などを見ている時、他人かと思ってたら鏡に映っていた自分でひどく違和感を感じることがある。
鏡というものをを見ていることを意識せずに、自分と対面してしまうことには、「自分でないような自分」のようなものが感じられるように思う。
その違和感は、視覚だけにとどまらず、聴覚つまり自分の声だっていつ聴いてもこんな声ではないはずだという思いが付きまとう。
自分の書いた文章も後で読み直すとほんとに自分が書いたのかな、なんて思ってしまう。 もっと厄介なのは、その声が文章が自分のイメージよりもかっこ悪く、下手くそに感じてしまうことである。
思えば、自分を体験することは自体日常生活で少ない。 もちろん毎朝鏡は見ている。しかし、鏡を見るという意識なしで見ることは少ない様に思う。さらに自分の声を聞くことは皆無である。
このよそよそしさは、さらに大勢の中で自分がカメラに写っていることを意識せずとられた写真はまるで自分でなく別の人間が映っているように感じるまでになる。
「吾輩はカモである」という古い映画の中に、この鏡を使った喜劇的なシーンがある。当人は鏡と思いこんでいるが、実は向こう側にその当人を真似た男がいるというシチュエーションでこのようなギャグは、往年のドリフターズにも似たようなものがあったしコントではなんだか見たことがあるなという定番のようなものだ。
どうやら、自分と対面することには、妙な可笑しさがあるようだ。
ことわざか何かに、「世の中には自分のそっくりさんが三人いる」というが、実際対面してしまったら同じような可笑しさがあるかもしれない。
そして、その時のことを考えてみると、私には、何も言わずシッポ巻いて逃げ出してしまうほかできないような気がする・・・